この国の不幸

福田康夫首相が突然辞めてしまった。まるで1年前の安倍さんのようだ。2代続けての突然の辞任。しかも自分がリーダーとして「適格」であるから、衆議院を解散して、国民の信を問おう、という気概すらない。自民党内で首相のたらい回しするための辞任である。政権を2度も投げ出しておいて、また自分たちの党から選ぼうとする根性は、ある意味で見事なまでに厚かましい。

辞任会見を聞いていてもなぜ辞めるのかよくわからない。ねじれ国会で小沢民主党にはいじめられるし、連立相手の公明党からはいじめられるし、与党内でも福田総裁では選挙を戦えないという声が出るし、そんな中でやってられるか、ということなのだろうと想像する。プライドが高い人だから、総理の座から引きずり降ろされる前に、自分から降りたという解説もあった。要するに「頭」をすげ替えて、支持率が上がったら解散・総選挙ということなのだそうだ。

国民にしてみれば、とんでもない話である。アメリカのサブプライム危機から始まった世界的な金融収縮と景気停滞、原油価格の高騰、食糧価格の高騰。それに問題山積の年金・福祉・医療。補正1兆8000億円の財源をどうするかもあるが、800兆円という大借金にあえぐ国の形をどうするのかという大問題がある。そういった問題にどう対処するのか、国民に訴えかけることもないまま、やれ上げ潮派だの財政再建派だのばらまき派だのが政策論争をやるのだという。

だいたい衆参でねじれていて、民主党にことごとく反対されるからやってられないというのはおかしな話だ。そもそも「ねじれ」が生まれたのは、宙に浮いた年金記録やら事務所費問題などがあり、当時の安倍総理があまりにも国民の目線とはかけ離れた反応をしたからではなかったか。年金問題では最初は「たいした問題ではない」と言い、後には「最後の1件まで」とできもしない約束をした。事務所費問題ではこれも「たいした問題ではない」と言い、松岡農相や赤城農相をかばい続けた。

その結果、参院選で記録的な惨敗をして、なぜかそこでは辞めなかった安倍総理は、国会が始まってから突然辞任した。だったら年金問題をはじめ高齢者医療や介護、それに防衛省事務次官の汚職、道路特定財源の一般財源化、あるいはC型肝炎訴訟など、ここぞという問題で従来の自民党ではできない大胆な発想を実現させるべきだったのである。それが「ねじれ」を乗り切る唯一の方策だったはずだ。

ねじれは有権者が要求したものだから、従えるものなら従えばいい。政治とはそういうものだと思う。まして有権者が要求したことは、たとえばインド洋での給油活動を止めろと言ったわけではない。年金問題を何とか解決して老後の生活の安心を取り戻してほしいと言ったのだから、それを真摯に実現するよう努力して国民に説明すればよかったはずだ。それをできもしない約束をしたり、後から言い訳したり、それは公約ではないと言ってみたり、とにかく潔くない。

福田総理は「誰もできなかったことをやった」と胸を張った。道路特定財源の一般財源化などである(消費者庁は「やった」と言えるのかどうか、はなはだ疑問だが)。たしかにそうだ。しかしあれも、民主党が暫定税率に反対を貫いたからしかたなくやったようにしか見えない。もし自分が一般財源化すべきであるというなら、自党内の反対を押し切ってでもやるべきだったのだが、福田さんは要するに「条件闘争」したにすぎない。そこが問題だと言うことに福田首相は最後までとうとう気がつかなかったように見える。

そういう意味でこの福田政権を振り返ると、政治とは見かけが大事だと改めて思う。国民からどのように見えるか。記者たちからどのように見えるか。自分の本当の気持ちは別にして、見え方に気を遣わないと、国民は支持してくれない。一般に国民は政治に無関心だと言われるが、あんなに熱狂的に見えるアメリカの大統領選挙だった、11月に行われる本選は投票率50%前後が普通だ。ただ違うのはどうやったら有権者にアピールできるかを考えるところだろう。共和党がほとんど無名で5児の母であるアラスカ州ペイリン知事を副大統領候補に指名したところに、彼らの「したたかさ」を見ることができる。マケインに対する保守派の不満を和らげ、しかも女性有権者にアピールできるかもしれない。

そうした大胆さに比べると「候補者がたくさん出て、にぎやかな総裁選になるほうがいい。民主党の代表選がそれで霞むだろう」というのは、いかにも姑息なのである。民主党の菅代表代行がテレビでこう発言していた。「われわれは日本の在り方を変えようとしている」。それは主に官僚主導から政治主導への切り替えということのようだ。本来は、日本という国の形をもっと議論したほうがいいと思うが、自民党が21世紀も大政党であろうとするなら、現在の日本をどう変えていくのかを提案しなければならない。

われわれと違って自分を「客観的に見つめることができ」「先を見通す目」を持っている福田さんだったら、そんなことはとっくの昔にわかっていたはずだ。わかっていて自分にはできないということを知っていたから、先手を取って辞任したのだろうか。それだったら初めから総理になどならなければよかったのに。そういう人が総理になってしまうような政治をいただいている国民は不幸である。

(Copyrights 2008 Masayoshi Fujita 無断転訳載を禁じます)

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