政策の優先順位
道路特定財源をめぐって国会は大荒れである。暫定税率の10年延長をどうするのかが焦点だったが、本来の特定財源のあり方をめぐる議論になったのだから、それはそれで望ましい話だと思う。ただ「道路をつくらせないのか」とか「地方では病院に行くための道路が必要だ」、「道路をつくって渋滞をなくせば環境対策になる」とかいう政府・与党の反論を聞いていると、なんだか小学校や中学校でやったあの民主主義の訓練のような討論を思い出す。屁理屈も理屈のうちかもしれないが、結構な金額の議員歳費を納税者が負担しているのに、当の議員たちがお粗末な議論を繰り返している姿を見ると、なんだか切ない。
道路はある程度つくらなければならない。シムシティというゲームがある。一時期はかなり流行した。限られた予算の中で、発電所や商業施設、余裕が出てくれば娯楽施設などを設置して都市を発展させるというゲームである。工場の進出が人を呼び寄せるのだが、公害がひどくなると人は減る。人が減ると税収が減り、都市は立ちゆかなくなる。そんなゲームなのだが、その中で当然、道路をつくるというのも要素の一つにある。道路をどのようにつくるか、そしてつくった道路の保守にどの程度の予算をかけるかを決断しなければならない。道路がなければ都市はできないし、保守をケチれば道路が傷んでやはり発展のスピードが遅くなってしまう。
シムシティというゲームはこのあたりが非常によくできていて、限られた予算の中で政策の優先順位を決めていくのが市長であるプレーヤーの手腕ということになる。このゲームにならえば、要するに道路をつくることがどの程度の優先順位でやらなければならないのかということになる。もちろん地方が切実に願う道路もあるだろうし、何のためだかわからない道路もあるだろう。道路の中でも優先順位をつけて、やらなければならないものをやる、という当たり前の話をしなければならない。なぜなら国と地方で800兆円近い長期債務を抱えているからだ(ここに財投債を入れると900兆円を越える)。
財政資金が十分ではないときに道路整備を進めるためだからと説明して、ガソリンなどに税金をかけドライバーから徴収した。つまり増税と使用目的の限定をセットにすることで納得してもらったという経緯がある。だから「特定」を外して「一般財源」にすることに抵抗があるわけだが、国の財政状態を考えれば、ここでこの税金をなくしてしまう(暫定分だけでも2兆6000億円)のは大きな間違いだと思う。
日本が置かれている環境は歴史上かつてないスピードで変化しているというのに、10年で59兆円という金額を出してくるのは、要するに特定財源で守られているという意識があるからだろう。道路という重要なインフラは長期的計画が必要だが、同時に世の中の変化を読みとりつつ修正しなければできあがったときには、何の役にも立たない道路になるかもしれない。財政の硬直化(使い道が決まってしまっているものが多くて、機動的な政策運営ができない)は、国が破綻する大きな原因である。年金などは別として特定財源や特別会計にはできるだけ柔軟性を持たせなければ、日本は本当に二進も三進も行かなくなる。
日本の経済がもはや一流とは呼べなくなったのは、実はこうした財政の硬直化に象徴される政治家やお役所の「頭の硬直化」が最大の原因ではないだろうか。基本的に大きな組織は、改革や変革が苦手だ。理由は明白である。変えることには非常に大きなエネルギーが必要だからだ。企業であれば簡単に破綻するので、従業員も必死になるところがあるが、国や自治体はそう簡単に破綻しないから、改革への危機感は生まれにくい。しかし、アメリカやEU諸国は、将来への危機感をバネに、改革に踏み切った。そしてそれらの国は一人あたりGDP(国内総生産)で日本を追い越しているのである。
日本を特集した英エコノミスト誌(2月23日号)は、政治が機能不全に陥っていると指摘している。2001年からの小泉改革にもいろいろ問題はあったと思うが、変えないよりは変えたほうがメリットは大きい。経済財政諮問会議は21世紀版の「前川リポート」を作るべく「構造変化と日本経済」専門調査会を設置した。しかし1986年に前川リポートで提言された内容は果たして実行されたのか。規制緩和や内需の促進、対日直接投資の誘致などなど、現在でもそのまま提言として使えそうだ。つまり前川リポートが書かれたときからそう大きな変化があったわけではないということである。
逆に言えば、やらなければならないことはわかっているのである。変えなければいけないのは、前世紀を引きずっている政治家や官僚の頭の中味だろう。そしてそれを変えるのが実はいちばん大変なのだ。
(Copyrights 2008 Masayoshi Fujita 無断転訳載を禁じます)
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