本当に自由がいいのか?
11月7日、東京地方裁判所は「混合診療を原則的に禁止」している国の政策には法律的根拠がないとする判決を下した。混合診療とは、保険が適用できる診療行為と保険外の診療を一緒に行うことである。これまで厚生労働省は、混合診療をした場合、保険が適用される部分の診療も全額自己負担とするという方針を打ち出して、混合診療を禁止してきた。今回の地裁判決によって、その禁止に根拠がないとされたわけで、いちおう厚生労働省が控訴したとはいえ、混合診療の解禁へ向かって日本の医療政策が大きく舵を切るのかどうかが注目されている。
今回、地裁に提訴したのは神奈川県藤沢市に住む清郷伸人さん(60歳)であった。ガン治療のため、保険が適用されるインターフェロンの治療に加え、保険が適用されない治療も受けた。従来なら、保険が適用できず、全額を個人負担としなければならないところだが、これを不当として訴えた結果、地裁は保険適用分については保険で医療費を支払うように命じたものである。
医薬品にしても治療法にしても、欧米では認められているのに、日本では認められていないケースが少なくない。自分の命がかかっているガン患者にとっては、欧米で効果があがっている薬が日本では使えないという事実はあまりにも残酷であるし、それを自分で輸入して使おうとすると、保険で認められている治療までもが自己負担になってしまう。これを理不尽だと考えるのも無理はない。患者の選択肢を広げるべきだという混合診療賛成論の根拠がここにある。
しかし混合診療には弊害もある。たとえば治療薬。今は薬は値段を決めてもらわなければ保険では使えない仕組みになっている。そして薬価は実勢価格(値引きなどが行われていないか)を調査して、見直しされることになっている。混合診療で使えるようになる薬の場合は、薬価のリストには含まれておらず、価格は「自由価格」である。命に関わる病気の場合、患者にもし支払う能力があれば、そうした薬を高い価格で買うことになるだろう。このことを裏返せば、製薬会社にとって収益性の高い薬になるわけだ。そうなると製薬会社によっては、保険適用を申請せずに保険外にしておくことで、利益を上げようとするところが出てきてもおかしくはない。現在は国民皆保険という形でそこに歯止めがかかっているが、その歯止めがなくなることが患者のためになるのかどうか、大いに疑問である。
さらに保険外の治療法や薬剤が本当に必要なのかどうかという検討がないがしろにされてしまう懸念も指摘されている。病院や医師にとって「採算のいい」治療法を患者に勧めるのは経営上は当然のことだというのだ。実際、歯医者で保険では使えない材料を勧められた経験のある人も少なくあるまい。その治療を選ぶ理由が、「有効かどうか」ではなく「儲かるかどうか」で決められたら、患者のほうはたまったものではない。
たしかに欧米で認可されているガンの治療薬が日本で使えないという現実は厳然として存在するが、それは混合診療を認めるかどうかではなく、むしろそういった薬品の承認を急ぐ工夫をするのが先決だと思う。今では多少改善されたとは聞くが、ひところは「日本人の体に合うかどうかを試験しなくてはならない」として欧米の試験データだけではなく、日本人を対象にした試験データが要求されていた。そのために承認手続きが遅れることもあったし、薬のマーケットが小さければ(患者が少ないなど)、日本の製薬会社がデータ集めを見送ることもあった。そうした薬事行政は、日本の製薬会社を海外との競争から保護するものであり、その結果、他産業に比べると統合再編がかなり遅くなったということも言える。
もともと医療というものは、自由に選べることがいいわけではない。薬も含めて新しい治療法がいいとは限らないからである。画期的と期待された薬でも手術法でも、陽の目を見ないものはたくさんある。四半世紀も前に騒がれた生理活性物質を使った抗ガン剤でも、その当時に語られた夢のような抗ガン剤にはならなかった(もちろん将来の可能性を否定しているわけではない)。人間の体については、人知の及んでいないところはまだ多く残されているのだから、可能性は無限にあるが、それが現実に使えるものになるかどうかはまったく別の話である。
選択の自由という美名の下に、混合診療を解禁していったときに、医療の現場がどう変わっていくのか。そのメリットとデメリットを論議しつくすことが今の段階では何よりも重要だと思う。医療関係者、役所、保険組合、そして患者、すべての関係者の間で、あるべき形を徹底的に論議することなしに、うかつな解禁をするべきではない。そこに賭けられているものは、この世で最も重いものだからである。すなわち人の命だ。
(Copyrights 2007 Masayoshi Fujita 無断転訳載を禁じます)
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