過去への責任

済んでしまったことを水に流せる場合と流せない場合がある。それを分けるのは、済んでしまったことがどの程度重要であるかということ(つまりは直接、間接に被害を受けた人がどの程度怒っているか)と、その行為が行われたときにその行為を取り締まる法律などがあったかどうかにかかっている。秘書が、部下が、パートが、取引先が、と責任逃れをする政治家や役人、経営者は見苦しいが、実際のところ「国家」という機関も過去の責任を認めるのが非常に苦手だ。

第二次大戦後、日本の指導者たちが「人道に対する罪」で裁かれた東京裁判がどうにも受け入れられない人がたくさんいる。戦争が終わってから「取って付けた戦争犯罪容疑」であり、それは法の論理に反するというのが最も大きな理由だ。その理屈と同じというわけでもあるまいが、地球温暖化問題でも、先に温室効果ガスを排出してきた国とこれから排出しようとしている国との対立は、なかなか解消することが難しい。

1997年に第3回気候変動枠組条約締約国会議(いわゆるCOP3)で議決された京都議定書。この対象期間は2012年で終了するためにその後の枠組みを協議しなければならない。そしてポスト京都の枠組で最も重要な課題は、温暖化ガス排出国として最大の中国(今年アメリカを抜いたとされる)などの発展途上国をいかに枠組の中に引き込むかということである。

中国やインドなどは、削減義務を課されることに基本的には反対だ。その論理は明快である。現在の状況は先進国が経済発展を遂げるなかで生み出されたものである。発展途上国が経済発展を遂げるのは「権利」であり、それを制限されるいわれはない。一人当たりの温室効果ガス排出量で言えば、まだまだ先進国に比べて少ない。先進国が排出量を削減して、自分たちと並ぶぐらいになったときには、排出削減を義務づけられるのもやむをえない。だいたいこんなところだろうか。昔、熱帯雨林の伐採を非難されたマレーシアのマハティール首相(当時)はこう言って反論した。「自分たちはさんざん伐採して発展してきたのに、われわれが同じことをやろうとすると非難する」

発展途上国だけではない。京都議定書については、最大排出国であるアメリカですらクリントン民主党政権は署名こそしたものの批准せず、ブッシュ共和党政権にいたってはとうとう離脱してしまった。その理由は、自国産業の競争力が削がれるというものであった。温暖化ガス排出で中国がアメリカを抜いたと言っても、中国の人口はアメリカの4倍以上。一人当たり排出量ならば4分の1以下になる計算だ(ちなみに2004年のデータでは中国はアメリカの5分の1以下だった)。そのアメリカが自国にとって不利益になることを理由に削減義務を拒否したのに、なぜ途上国が義務を課されるのかという論理には首肯せざるをえない。

日本も「省エネ大国」と言っているが、あまり大きな顔をしてはいられない。2012年までに1990年レベルより6%減という義務を課せられたのに、現在のレベルは1990年レベルを上回っており、義務を履行するためにはかなりのことをしなければならない。国内での制限はもとより、他国から排出量を買うことも必要であり、予定より相当巨額の資金を費やさないと間に合わないようだ(またまたカネで何でも解決しようとする日本人と言われそうだ)。日本の排出量は世界的には第4位だが、一人当たりで見れば、中国の3倍近く、インドの8倍以上なのである。

中国とインドの人口を合わせると世界の総人口の3分の1。その人たちの一人当たり排出量が日本人と同じになると、中国の二酸化炭素排出量が約130億トン、インドが100億トンを越える計算になる。この2カ国だけで2004年の排出量よりざっと160億トン増える。世界の総排出量が265億トンであるから、それだけで6割増加することになる。2050年までに現在レベルより50%削減するというのが昨年のサミットでの目標だったが、それがほとんど夢物語になってしまうような数字だ。だからどうしても中国やインドを巻き込むことが必要なのである。

http://www.jccca.org/content/view/1040/781/

先進国がこれまでに排出してきた温室効果ガスの分まで責任を取らずに、どうやって途上国を納得させられるというのか。自分たちの削減目標を高く掲げるだけでなく、たとえば省エネ技術を中国やインドなどに無償で提供するということも必要になるだろう。それを排出権取引という市場メカニズムの中である程度実現できるとしても、途上国に対する道義的なサポートにはならない。過去に対する責任は、道義的に取るしかなく、それを取ることによって他国に対して主張できる立場にも立てる。

地球温暖化はそれこそ全地球的な問題。温暖化ガスを排出していようがいまいが、その被害はすべての人類に及ぶ。人類がこうした問題に直面するのは初めてのことである。ここでどう行動するのか。それが21世紀における日本の在り方を決めると言っても過言ではあるまい。そしてもう一つ。それは国の在り方だけでなく、国民の在り方も決める。われわれ自身の行動を振り返らずに、温暖化問題を論じるときではないのである。

(Copyrights 2007 Masayoshi Fujita 無断転訳載を禁じます)

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