小さな政府と医療費

2005年度の国民医療費の総額が33兆1289億円になったと厚生労働省が発表した。前年に比べ1兆円強増えて過去最高。3年連続で過去最高を更新しているのだそうだ。前年度比で3.2%増というから当然経済成長率を上回っている。この33兆円を誰が負担したか。国や地方の公費支出が12兆円、保険組合が払ったのが16兆円(もとは私たちが払った保険料だ)、残りは窓口で払う個人負担である。


医師不足や自治体病院の経営難など、医療をめぐる環境は厳しいにもかかわらず、医療費としては圧縮する対象として議論されることが多い。医療費は増やすべきだという議論は、医療関係者を除くとほとんどお目にかからない。医療費の圧縮は構造改革の一環だともされている。

2001年に小泉首相が登場して以来、「大きな政府か、小さな政府か」という議論があちこちで聞かれる。医療費と同じくここでも議論の大勢は決まっている。「小さな政府を目指す」というのが結論である。今やそこに異論を差し挟む人はほとんどいないようにも見える。

さてそこで問題である。「大きな政府」とはいったいどの程度を大きな政府と呼ぶのだろうか。そこで「国民負担率」という数字を見てみる。国民負担率とは租税負担率と社会保障負担率の合計である。日本は2007年で39.7%(財政赤字まで考慮した潜在的国民負担率では43.2%)だ。世界でも小さな政府とされているアメリカはどうかというと31.9%(同38.2%)である。その他の国では、イギリスが47.5%(同51.7%)、ドイツが51.3%(同56.2%)、フランスが61.0%(同65.9%)、スウェーデンが70.2%(同70.2%)だ。なお日本を除く国々の数字は2004年の数字である。

ヨーロッパ諸国は概して国民負担率が高い。社会民主主義の伝統があるからだ。その分、財政や経済が硬直化しがちであることも否めない。フランスの新しい大統領になったサルコジ氏は、賃金などをもっと自由化(言葉を換えれば企業寄り)にするとしているが、これが経済の活性化をもたらすのか、それとも社会の不安定化をもたらすのか、これからの注目点である。高負担・高福祉の国であるスウェーデンは、やはり国民負担率は高い。しかしその分、教育や医療における個人の負担はほとんどない。

一般的には「大きな政府か、小さな政府か」と問われると、「小さな政府がいい」と答える人が圧倒的に多いだろうと思う。われわれは日本が大きな政府だと何となく刷り込まれているからだ。そしていつの間にか、現在の政府の公的債務の累積額が今年6月で836兆円にもなったと聞かされて、これは小さな政府にしなければいけないと思いこんでいる。

しかしちょっと待ってほしい。そもそも836兆円という膨大な債務を抱えるに至ったのは、日本が大きな政府だったからではない。日本の政府がバブルの後処理にあまりにも手間取り、かつ財政出動に頼りすぎて、金融機関に貯まっていた不良債権処理を急がせることができなかったからである。原因が何であっても国内総生産の1.5倍もの債務を抱えていることには変わりはないのだから、やがては私たちが負担しなければならないことは確かだとしても、この債務に私たち国民が引け目を感じる必要はない。

先進国最悪のこの債務を減らすには、とにかく毎年、赤字を出さないようにするしかないのだが、そこで必要なことは、支出の優先順位を決めることだと思う。そこで私たち国民は、別に物分かりのいい国民になる必要はない。自分たちの老後の生活などを考えて、そこに必要な政府の支出ならば堂々と要求すべきなのである。

冒頭に取り上げた医療費も、何度か書いたが、世界的に見てGDP(国内総生産)に占める医療費の比率は決して多くはない。むしろ先進国中では少ないほうである。国はいま、医療の効率化するためとして、混合診療の導入やら株式会社の参入を図ろうとしている。そしてそうした医療制度の先進国であるアメリカは、医療保険に加入していない人びとが4000万人にも達し、大きな社会問題になっている。あのマイケル・ムーア監督が『シッコ』というアメリカの医療問題を取り上げたドキュメントを制作した。医療の質もカネ次第になってしまったアメリカと、国民皆保険を何とか維持している日本と、どちらがいいかは一目瞭然だと思う。しかし医療費削減という言葉に踊らされると、そこに待ち受けているのは医療の崩壊なのである。

(Copyrights 2007 Masayoshi Fujita 無断転訳載を禁じます)

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