銃と民主主義
銃による衝撃的な犯罪が続いている。アメリカではバージニア工科大学で韓国人の学 生が32人もの学生を射殺した。またNASA(連邦航空宇宙局)でも上司を人質にとった 上で射殺した。いずれの場合も犯人は自殺している。一方、日本では暴力団員が選挙 運動中の伊藤一長・長崎市長を射殺した。また東京町田ではやはり暴力団員がパトカー などに発砲した上で自宅に立てこもり、自殺を図った。
こうした事件が起こると、日本では銃規制の強化(規制というより摘発といったほう
がいいかもしれない)が叫ばれるのが普通だ。銃の保有は世界でも類をみないほど厳
しく規制されているのだが、それでも約5万丁の銃が隠し持たれているという。1945
年に敗戦した後、旧日本軍の銃が数多く一般に流れた割には、銃規制がうまく行って
いる。
それに比べるとアメリカは2億4000万丁の銃があるとされ、銃規制という言葉が空し
い。今回の事件の後も、銃規制を強化すべきという議論もあるが、同時にバージニア
工科大学が学生に銃の持ち込みを許していたら、犯人の学生を撃つことができ、事件
はあれほど悲惨なものにはならなかったという人もいるという。ABCテレビの世論調
査では拳銃の販売を禁止すべきかどうかという質問に62%の人が禁止すべきではない
と答えた。事件後に銃を買いに来た人はテレビのインタビューにこう答えていた。
「クレージーな連中が銃を持っているのだから、家族や自分は自分で守らないとなら
ない」
http://abcnews.go.com/images/US/1037a1VaTechGuns.pdf
合衆国憲法修正第2条にはこう書いてある。「規律ある民兵は、自由な国家の安全に
とって必要であるから、市民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵しては
ならない」。この条文をめぐって、アメリカでは銃擁護派と銃規制派で激しい論争が
続いてきたが、最近では、銃擁護派が優勢であるように見える。
レーガン大統領暗殺未遂事件のとき、大統領補佐官だったブレイディ氏が被弾し、半
身不随となった。この後、1993年には彼の名を取ったブレイディ法という拳銃規制法
が成立した。販売店に銃の購入者の身元調査期間を定め、重罪の前科がある者、精神
病者、麻薬中毒者、未成年者などへの販売を禁止する法律である。
そして1994年にはクリントン政権の下で、半自動小銃などを規制するアサルト・ウエ
ポン規制法が成立した。これは10年の時限立法だったが2004年に更新されず、失効し
ている。もともと民主党は銃規制に対して共和党よりも積極的と言われていたが、こ
の法律を成立させた結果、民主党は昨年の中間選挙で勝つまで、連邦議会上下院で過
半数を失ったとされている。銃擁護派の大圧力団体NRA(全米ライフル協会)が銃規
制に反発したためだ。
NRAだけではない。FOXニュースの世論調査によると、銃規制がバージニア工科大学の
ような事件を防ぐことができたと思うかというアンケートに対し、71%の人がノーと
答えている。その論理は、犯罪をおかそうとする人間は、銃の規制がいくら厳しくて
も銃を入手するからであるというものだ。そうである以上、自分の身を守るために合
法的に銃を所持する権利があると主張する人が多い。
http://www.foxnews.com/story/0,2933,267085,00.html
日本のように一般人が銃を所持していないことが前提の社会とは考え方がまるで違う。
日本では、豊臣秀吉の刀狩り以来、一般人は武器を持たないという習慣が確立したと
されている。銃についても、江戸時代に幕府や各藩で鉄砲改めがあった。武器を持っ
ているのはお上であって、下々は武器とは無縁であった(農民一揆などでも武器は鋤
や鍬だ)。そうした歴史的経緯があって銃による犯罪が少ない社会になっていること
は間違いない。
しかしその一方で、権力に対して武器を取って戦うという経験のない国を生んだとい
う面もある。明治維新も権力に対する国民の反乱、つまりは革命ではなく、幕府に対
する薩長のクーデターだった。だから、われわれは自分で自分の身を守るということ
をあまり考えないのかもしれない。われわれが言う「自衛」とは、自分で守ることで
はなく、犯罪に遭わないようにすること、あるいは警察などに守ってもらうことであ
る。自分で自分を守ることこそ民主主義の原点であるなどと言うつもりはないけれど、
われわれには権力そのものから自分を守るという感覚が抜けていると感じる。
銃を持っているから民主主義的であるというつもりもないし、いまさらわれわれが銃
を持って自衛するのはおかしなことだとは思う。しかし、お上がいつも自分を守って
くれると信じるナイーブさはどこかで捨てたほうがいいのだろう。そうすると自分で
自分の身を守るとはどういうことかを考えざるをえず、国の安全保障論議にも実感が
でるかもしれない。
(Copyrights 2007 Masayoshi Fujita 無断転訳載を禁じます)
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