医療にミスはつきもの

厚生労働省が、出産に伴う医療事故の被害者を救済する制度をつくることを検討して いるそうだ。この制度の特徴は、医師に過失があるかどうかに関わりなく障害をもっ て生まれた乳児やその親に払われるというものである。現在も医師賠償責任保険があ るが、補償金が支払われるためには医師の過失が証明されなければならない。裁判で 争うことになると時間もかかるし、感情的な対立も生まれる。さらにミスをめぐって 双方が争うことになると、医療側にはミスを隠そうとする動機が生まれることになる。 結果的に事故の再発を防ぐという本来の目的が忘れられることにもつながる。

こういった保険制度によって、医学部卒業生が産科を避ける傾向に歯止めをかけるこ とができるかもしれない。学生が産科を嫌がるのは、事実上24時間勤務になることや、 医療ミスで訴えられるケースが多いことがその背景にあったからである。その記事に よると、医療事故で訴えられる頻度は内科医と比べると3倍以上にもなるという。そ の意味で、こういった保険制度ができることは望ましいことに違いない。患者側も過 失の有無を争わずに補償金を手にすることができ、二重の精神的苦痛を味わわなくて もよくなるだろう。

患者は治療を受けるとき「事故はつきものである」という覚悟を持つことが必要だと 思う。風邪をひいて注射をしてもらうだけでも、薬の取り違いやら注射する量の間違 いなど、医療事故は発生しうる。まして外科手術となると事故が発生する確率ははね 上がるはずだ。お産とても例外ではない。先に、秋篠宮に男子が誕生したが、前置胎 盤ということで帝王切開による出産となった。このケースでは万全の態勢で緊急事態 に備えていたと思うし、その結果、秋篠宮妃は順調に出産された。しかし福島県立大 野病院のケースでは、残念ながら子供は生まれたが母親が亡くなった(この件は、現 在、医療ミスとして医師が逮捕・起訴されたが、本当にミスなのかどうか、さらに警 察の介入が妥当であったかどうかについて、激しい議論を呼んでいる)。

虎ノ門病院の小松副院長は、著書の中でこう書いている。ほとんどの病気の場合、治 療法には選択肢があり、その選択肢がもたらす利益とリスクを勘案して、治療法を決 定する。その決定は、患者本人がするしかない。治療効果が大きいがリスクも大きい 場合が判断がむずかしいが、治療効果もあまり期待できないのにリスクがあるような 選択はなされるべきではない(たとえば高齢であって、治療した場合の余命と、しな かった場合の余命にあまり差がないような場合)。実際、私の父も、長期療養中に膀 胱ガンと思われる影が発見されたが、治療はいっさいしなかった。手術で体力を消耗 することを恐れたのと、その時、父は90歳であったからである(父自身はそのとき痴 呆になっていたから、父自身が決めたわけではなかったが)。

したがって医師の役割は、患者が取りうる選択肢を示し、そこに伴うリスクをそれぞ れにおいて説明し、必要ならセカンドオピニオンを得るように勧め、そして患者の選 択がなされたら、それを真摯に実行するということになるだろうか。実際には、多く の医師がそこまで丁寧には説明しないし、医師が妥当と思う治療法を患者が拒否する と、怒り出すケースもあると聞く。そしてさらに問題なのは、患者側も、その選択を 自分ですることなく、結局は医師から言われるままに治療を受けるケースが多いとい うことである。つまり患者自身の責任ということが忘れ去られているのだ。

そして事故が起きたとき、患者は医師のミスを疑い、医師は医療過誤とならないよう に手を打とうとする(場合によっては事実を隠す)。時には警察が介入し、医師を逮 捕したりする。しかし、医師が手術に失敗したからと言って、それを刑事事件にする ような仕組みが本当にいいのかどうか。警察が医療に関して素人であるということも あるが、刑事事件にしたところで、それで日本の医療の水準が向上することにつなが るとは思えないからである。

むしろ本質的な問題が見過ごされることを恐れる。たとえば十分な医師を確保できな いために、起こった医療事故を「人的なミス」と断定していいものかどうか。間違い やすいラベルや間違いやすいパイプなどが原因であるのに、「不注意」の一言で片づ けていいのか。なぜそのミスが起きたのかを突きつめなければミスは減らない。過失 を証明しなくても補償金が出るようにする制度ができれば、医療側にとってはミスを 隠さなくてもよくなるし、患者側にとっては被害に遭った上に裁判に伴う感情的な対 立を味わわなくてもすむ。そこで初めて次のステップにつながる可能性が生まれてく るはずである。お産だけでなくあらゆる診療科目で医療事故の被害者に同じように補 償する制度が必要だと思う。

(Copyrights 2006 Masayoshi Fujita 無断転訳載を禁じます)


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コメント

7月に株式会社nci社長で「末期ガンになった
IT社長からの手紙」著者の藤田 憲一 氏に
講演を御願いしました。
10/3放送のNEWS23でも放映されましたので
ご覧になった方もいらっしゃるかと存じます。

患者は治療を受けるとき「事故はつきものである」
という覚悟を持つことが必要
治療法には選択肢があり、その選択肢がもたらす
利益とリスクを勘案して、治療法を決定する。
その決定は、患者本人がするしかない。

藤田さんも患者の「自己責任」を強調されて
いました。
ただ、患者には「自己責任」を問われるほど
情報の提供、そして何より充分な選択肢が
与えられているのでしょうか?
藤田さんの例を考えると切実に、そう思います。
藤田 憲一 氏のブログ
http://blog.livedoor.jp/kenfujita/

「医療にミスはつきもの」、その通りと思いますが医療にかかわらず人は誤るものです。
その認識がきちっとなされていないと、同じようなミスを繰り返します。大事なことは、人はミスをするものだから「ミスをさせないハード・ソフト(訓練・研修など含む)」の開発や運用(チェック検証を含む)・仕組みをとことん工夫・改善し続けることを医療関係者・患者・行政・企業・学術研究機関等が一体(情報の共有化の仕組みも含めて)となることが大事と存じます。
もちろん、そのような取り組みをしているところもありますがまだまだ部分的で日本いや世界的にグローバルに取り組むことが21世紀の課題ではないでしょうか。
また、上記を真に実現するためにはやはり人としての基本的な倫理観が最も重要であることは言うまでもありません。昨今の様々な不祥事・不正やトラブル・事故などはそのことが希薄になっているか全く無くなってしまっているからではないでしょうか。

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