安倍さんにとっての「国」

自民党の総裁候補が出そろったところで、各候補者の持論を聞く機会が増えた。麻生
さんと安倍さんはよく似ている。靖国神社不参拝、消費税率の引き上げを主張する谷
垣さんが安倍さんとは一線を画している。それでは安倍さんは何を主張しているのか。
彼の言うことはややあいまいであることが多いのだが、戦後体制からの脱却が最も大
きなテーマであるように思える。


安倍さんが「戦後レジーム」と呼ぶ体制とは、要するにアメリカがつくった憲法と教
育基本法であるようだ。だからそれらを廃止し、自分たちの手で憲法や教育基本法を
制定することが「脱却」だとする。憲法改正を正面切って主張して自民党総裁になる
のは、安倍さんが初めてだ。憲法改正というより自主憲法制定は、1955年に自由党と
民主党が合同したときからのテーマだが、憲法改正を主張するたびに自民党の支持率
は下がるし、内閣の支持率も下がることが経験値として分かっているからである。



それを堂々と主張できるようになり、また国民も憲法についてさまざまな議論をでき
るようになったところに、戦後日本の成長があると思う。改憲派と護憲派というイデ
オロギー的な対立、「ダメなものはダメ」という議論拒否は、結局何も生まない。憲
法が制定されて60年もたって、ようやく議論ができるところまでこぎ着けたというこ
とだろうか。



しかしここで立ち止まって考えてみたい。今の憲法のどこに不都合があるのだろうか。
憲法が、あるべき国の姿をうたうものだとすれば、安倍さんの議論の中で、どうして
憲法を変えなければいけないのかが今ひとつピンとこない。要するに、現在の繁栄を
もたらした「戦後レジーム」で何がいけないのだろうか。自衛隊や集団的自衛権など
の「解釈改憲」をすっきりさせたいというのは理解できないわけではないが、自主憲
法制定と力みかえるほどではない。



安倍さんの祖父である岸信介元首相は、「マッカーサー憲法」の廃棄を訴えたという。
まさか岸さんの遺言を実現しようというわけではあるまい。善し悪しは別にして、岸
さんのいう「自主憲法」と安倍さんのいう「自主憲法」が同じであるはずはないと思
う。岸さんの場合は、どちらかといえば「戦前回帰」というほうがわかりやすいかも
しれない。それでは安倍さんはどうだろう。



安倍さんははっきり言わないが、おじいさんと同じく戦前回帰をめざしているのだろ
うか。もちろん戦前の日本をすべて否定するのは間違いだと思う。しかし日本の伝統
も含めて「美しい国、日本」をスローガンにするのだったら、どんな日本をつくろう
と思うのかをもうちょっと説明してもらわないと判断のしようがあるまい。安倍さん
のめざすところは自衛隊や集団的自衛権だけではないはずだ。



安倍さんの本を読むと、全体的に「個人」よりも「国」が前面に出てくる。国あって
の個人が強調され、国のない個人なんて誰も評価してくれないとまで言い切るのであ
る。しかし個人のアイデンティティとしての「国」と安倍さんのいう「国」は少しず
れているのではないだろうか。文化や伝統を含めて生まれ育ったところという意味で
「国」あるいは「くに(故郷)」は大事だと思う。しかし、安倍さんの言う国はもっ
と具体的なものだ。つまりパスポートに記載されているように、日本国民であること
を証明し、外国政府に保護を要請する「国」という機構のことである。



しかし、機構としての国を考える上で重要なことは、いかに個人の自由と尊厳を守る
べく国を「規制」するかということである。9.11以降のアメリカは、それ以前のアメ
リカと比べると、おかしなところがいっぱいある。電話はいとも簡単に盗聴され、何
の法的根拠のないままに人々が拘束される。CIAの秘密収容所で拘留されていた人た
ちが、国防総省の管轄下に移管されて、「戦争捕虜」として扱われるようになったと
いうニュースがつい先日流れた。それまでは「違法拘留」である。イギリスでも同じ
ことだ。爆弾テロの犯人と目される人々を特定したのは、ロンドン市内の随所に設け
られた監視カメラだったし、テロとは関係のないブラジル人を警察が射殺したことも
あった。それに関して十分な謝罪と再発防止のプログラムができたとはとても思えな
い。「不幸な事故」で終わりである。国家に課せられた自由と人権を守るための制限
をすべて外さないとテロとの戦いができないと主張しているように見える。



安倍さんの本を読んでも、国についてのイメージがはっきりとはわからないのだが、
ひょっとすると安倍さんのめざす国家とは、国民を守るための国家ではなく、国民の
上に立つお上としての国家なのではないだろうか。いかに伝統や文化が重要だとして
も、戦前の日本のすべてを肯定する気にはなれない。軍国主義を台頭させ、自由な意
見の表明を抑圧し、すべてのエネルギーを「聖戦の完遂」のために振り向けていった
のは歴史的事実である(安倍さんは歴史認識は歴史家に任せるべきものと語っている
ので、戦前の日本をどう考えるかをまともに議論することはしないだろう)。それが
許された社会に戻りたいと思っている人はいないだろう。国家と個人をいつも対立す
る概念として考える必要はないと思うが、個人よりも国家を上位に置くような国にな
ることだけは、絶対に避けたいと思う。



(Copyrights 2006 Masayoshi Fujita 無断転訳載を禁じます)


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