言葉の耐えられない軽さ

自民党総裁選は来週20日、投開票が行われる。党内では、安倍官房長官が圧倒的支持 を集めている。またある世論調査によれば一般国民においても支持率が高い。麻生外 務大臣や谷垣財務大臣といった対抗馬は残念ながらまったく勝負にならないまま終わ る。そのせいかどうか、総裁候補者の論戦もあまり盛り上がらないままなのだが、ど うも気になるのが、安倍さんが何を言っているのかよくわからないことである。

たとえば、先の大戦の評価を問われて、安倍さんはこう答える。「評価は歴史家に任 せたい」。この言葉は、「歴史とは歴史家がつくるもの」という言葉からの連想だろ うか。E・H・カーという著名な歴史家が著作『歴史とは何か』(岩波新書)の中で、 「歴史は、現在と過去の対話である」と繰り返し述べている。要するにそれまでの歴 史学で主張されていた実証主義的な、歴史家の仕事は「ただ本当の事実を示すことで ある」という主張を真っ向から否定するものとして主張された言葉だ。

カーの言わんとするところは、歴史的事実、たとえば1945年8月15日に日本が降伏し たという事実そのものは歴史ではないということだ(たしかに年表を覚えるだけでは 歴史を学んだとは言えないというのは、僕自身にもとってもよくわかる)。そういっ た事実を歴史家がどう解釈するか、あるいはどう理解するかが歴史だという。だから 「現在と過去との対話」なのである。そうすると、事実の並べ方によって(つまり解 釈の仕方によって)さまざまな歴史がありうるということになる。そこでどの解釈が より合理的であるかが問われるのが、歴史論争、いわゆる「自虐史観」と「反自虐史 観」との争いもその一つだ。

その意味では、安倍さんの言う「歴史家に任せる」というのは一見正しいように見え るけれども、これは非常に大きな間違いだと思う。自民党総裁そして来たるべき日本 国総理大臣として、これまでの日本の歴史(歴史という言葉から安倍さんが逃げたい と言うのなら「行動」と置き換えてもいい)をどう考えるかという前提条件なしに次 の政策を打ち出すことはできない。たとえば、安倍さんの持論である自主憲法制定に しても、あの大戦の評価を抜きにして自衛隊を自衛軍にすれば、単なる復古主義にな る危険性すらある。隣国の懸念に対して「戦後、日本は平和を守ってきたじゃないか」 という反論がある。戦争を仕掛ける能力がなくて守ってきた平和と、仕掛ける能力が あっての守ってきた平和とは違う。能力があるのに日本が平和主義者であったことは ない。

今日、日本記者クラブで開かれた3人の候補者による討論会を見ていたら、消費税率 の話になった。この問題で、税率を示して消費税を上げるという話をしているのは谷 垣さんだけ。麻生さんは成長による増収効果があるからそれを見きわめるとし、安倍 さんは歳出カットの意欲が薄れるから今は消費税率の引き上げは言わないと主張する。 そして安倍さんはこういった。「消費税から逃げることもしないし、消費税へ逃げ込 むこともしない」

おそらく安倍陣営では、うまく谷垣さんをやりこめて点数を稼いだと思ったことだろ う。しかし、消費税問題について言えば、谷垣さんの姿勢はこれからの政治家に望ま れる姿勢である。10%というおそらく自民党内でも異論が続出する数字を掲げて、国 民に負担を求めることが、日本の民主主義を成長させるものだと思うからだ。一般国 民は納税者である。国の予算を賄っているのは、国民であり、企業である。ただ一般 的にわれわれ納税者は、税金の使われ方に関して関心も低いし、改革意欲もそれほど 高くない。税金の何が無駄に使われているかを勉強している人も多くはない。そして 増税は、いつも政治家にとって鬼門である。来年に参議院選挙を控えているだけに、 増税についてはできるだけ先延ばしするというのが、安倍さんや麻生さんの基本戦術 であるように見えるが、それは政治家として正しい選択ではない。800兆円を越える 国の債務はそういった小手先の対策を許さない段階に来ていると思う。そういったこ とを考えれば、谷垣さんが勝敗は別にして、消費税問題を訴えようとした姿勢は、政 治家の説明責任としても高く評価できる。

安倍さんは「消費税に逃げ込むこともしない」と谷垣さんを返り討ちにしたつもりで も、安倍さん自身は何も語っておらず、問題を先送りしているだけということが見え てしまった。二つの問題を象徴的に取り上げたが、安倍さんの発言がよくよく読むと 何を言っているのかよくわからないと思っている人は決して少なくない。言葉だけが 上滑りしていると言っては言い過ぎかもしれないが、小泉首相のワンフレーズポリテ ィックスよりも、安倍さんのほうが始末が悪い。なぜなら小泉さんは一応国民に訴え かけ、それで支持率を上げた。安倍さんは国民に向かって話しかけるものの、響きの よい言葉だけで何となく実体が伴わないということになりかねないからである。

(Copyrights 2006 Masayoshi Fujita 無断転訳載を禁じます)

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