いまこそ靖国論争

とうとう公約どおり終戦記念日に靖国神社に参拝した小泉首相。でも小泉さんの口か ら「公約は守るべきものでしょう」という言葉を聞くとは思わなかった。30兆円を越 える国債を発行せざるをえなくなって、「公約を守らなくても大したことじゃない」 と国会で叫び、大ブーイングを浴びたのは誰だったのか。もう一つ嫌みを言わせても らえれば、終戦記念日に靖国神社に参拝するということを「公約」とする一方で、参 拝は「心の問題」だから外国がとやかく言うべきではないというのも、矛盾した話で ある。「公約」とは政治的な約束であって、心の問題ではないのだから。

しかし小泉さんの功績がなかったわけではない。首相在任中にしつこく靖国神社に参 拝してくれたおかげで、国内で靖国問題という言葉が定着し、さまざまな議論が続い ている。昔だったら、何が何でも反対という人と、反対する人間は国賊だと断罪する 人と、それらを傍観する「一般人」しかいなかった。こうなるとイデオロギー論争と いうか神学論争にしかならず、およそ生産的な議論にはならなかった。

いま必要なことは、中国や韓国がどう考えるかを気にすることではない。われわれ自 身があの神社をどう考えるか。つまり歴史的に靖国神社が果たしてきた役割をどう認 識するのかというわれわれの「歴史認識」である。

小泉さんは、「心ならずも戦争の犠牲になった人々」を追悼し、二度と戦争を起こさ ないことを誓うのだと言う。しかし靖国神社は、戦争の犠牲者を弔う場所としてつく られたわけではない。国のために(実質的には天皇のために)戦って死んだ兵士を 「よく戦って命を捧げた」として顕彰し、これから戦争に行く兵士たちに「死んで神 になるのだから、命を惜しむな」として送り出すための神社である(だから民間人の 犠牲者は原則として祀られていない)。

その意味で、戦後、あの神社に参拝する義務があるのは昭和天皇であった。なぜなら ば200万を越える人々が「天皇のために」命を捧げたからである。昭和天皇は、それ だけの兵士を死なせたという悔悟の念を持っていたと思う。それは先ごろ公表された 富田元宮内庁長官のメモからもうかがえる。A級戦犯の合祀について不快感を表明し、 だから参拝しないと言ったのは、自分の名の下に多くの兵士を死なせた「失政」を許 せなかったからだと思う。

戦争犯罪を裁いた東京裁判を認めないという議論がある。後から法律を決めてそれで 裁いた、戦勝国による「私刑」だというのがその理由と言っていいだろうが、それで はわれわれ日本人は、あの大失政について、その当時の指導者をどうすべきだったの だろうか。平時なら、失政といっても、たとえば橋本首相のようにまだ増税すべきで ないタイミングで増税し、結果的に景気を腰折れさせたという程度の話である。その 結果、橋本首相は選挙で負けて辞任に追い込まれ、一方で自殺に追い込まれる人も出 る(実際に、日本の自殺者は年間で3万人と多い状態が続いている)。

しかしあの戦争で亡くなった人々はその比ではない。兵士だけでなく、民間人をいれ れば300万人を越える。これだけの人々を死なせるように国を導いたという事実は、 単なる失政というよりも犯罪といったほうがいいかもしれない。だからこそ、61年前 に集結したあの戦争は「自衛戦争だった」という議論が生まれる。自衛戦争だから当 時の指導者は戦いたくなくても戦わなければならず、あれだけの犠牲者を出すのは仕 方がなかったというためである。

だが考えてみるがいい。ドイツが降伏した1945年5月初、もしあの時点で日本も降伏 していたら(すでにイタリアは降伏していて三国同盟は崩壊しているのだから、なぜ 単独で戦争を継続しなければいけなかったのか理解に苦しむ)、沖縄戦で犠牲になっ た敵味方合わせて24万人の犠牲者のうちかなりの人が死ななくてすんだ。もちろん広 島や長崎で原爆の犠牲になったおよそ40万人近い人々や、満州に開拓に入った人々が ソ連の侵攻に逃げまどい、命を落としたり、子供を置き去りにするようなこともなかっ たのである。シベリア抑留で6万人の兵士が帰って来ないということもなかった。ざっ とした数字でしかないが、戦争を継続することが困難かつ意味がないことを5月初の 段階で指導者が認識していれば、100万人の日本人が死なずにすんだ。

いくら戦争は狂気であるとしても、当時の1億玉砕というスローガンは正気の沙汰で はない(戦争はいつか終わるものだという常識を欠いている)。その戦争を遂行する 装置となっていたのが靖国神社、そしてその装置を使って国民を戦地に送り出した最 高責任者がいわゆるA級戦犯とされた人々だ(他にも責任がある人々がいるという議 論はここでは置いておく)。

小泉首相がパンドラの箱から引っ張り出した靖国問題。いま問われているのは、首相 の歴史認識ではなく、われわれ日本人の歴史認識である。

(Copyrights 2006 Masayoshi Fujita 無断転訳載を禁じます)


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