長野県民の不幸

長野県知事選、注目の田中康夫現知事が負けた。ある新聞は「『改革』6年で幕」と
書いた。田中知事は「脱ダム宣言」で、公共工事依存型の長野県経済に一石を投じて、
2000年に当選。県議会と対立して不信任を突きつけられて辞任し、再び選挙に挑戦し
て勝った(いわゆる出直し選挙、その時は82万票を獲得している)。今回は任期満了
に伴う選挙だったが、かつての勢いはなく、自民党が支持する村井仁元国家公安委員
長の前にあえなく敗れ去った。票数にして実に30万票も減ったのは田中陣営にとって
も理解不能かもしれない。


私自身は、田中知事が「改革の旗手」とは思わないが、無駄な公共事業をして経済振
興という名の下に借金ばかりが増える構造を断ち切ったという点では改革に踏み込ん
だ知事だったと思う。知事室を県庁の一階に移してガラス張りにしたり、地方に出か
けていって車座集会を開いたりと、アイディアも豊富だった。しかし、行政府の長と
して、あるいは政治家としてはどうだっただろう。実際、県職員の中にはホッとした
人も多かったという。



つまり政治家は「壊す」だけではだめなのである。壊した後、いったいどのようなビ
ジョンを有権者に投げかけられるか、それこそが支持率を左右する。小泉首相が首相
の座についた2001年、「自民党をぶっ壊す」と叫んだことで高い支持率を得た。もち
ろん一時の勢いはないとはいえ、小泉首相の支持率はまだ高い。支持率を支えている
のは昨年の「郵政民営化選挙」だ。国民はそこに日本を変えていくプロセスを見たと
思う。



県知事は直接選挙で選ばれるのから、たとえ県議会と鋭く対立していようが、県民の
代表者としてできることはあるはずだ。しかも前回の出直し選挙(2002年)で圧勝し
た後、2003年の県議会選挙では田中派の新人議員が大量に当選している。つまり田中
知事にとっては、それまでの「守旧派県議会」にくさびを打ち込んだ形であり、本来
はそこで議会を取り込む度量の大きさがあってよかったはずだ。しかしそうはならな
かった。田中知事に欠けていたのは、長野県を変えていくプロセスを議会や県民に納
得させる丁寧さであったと思う。自分のアイディアしかわからない、人の話を聞かな
い、人に丁寧に説明もしないの「ないないずくし」では、県民は改革のプロセスを理
解も支持もしない。プロセスが支持されなければ、変革は絶対に進まない。なぜなら
その変革を実行するのは県民であり、知事ではないからだ。



それに、いまさら言うまでもないことだが、公共事業はすべて不要で無駄という公式
は、もはや通用しないと思う。日本のように国土の傾斜がきついところでは、治水は
いつも課題である。もちろんダムに頼るだけでは治水にならないことも事実だとは思
うが、必要悪ということもある。現に、今年の大雨では長野でも大きな被害が出た。
この被害が田中知事の「脱ダム」と因果関係があるとは思わないけれども、田中知事
が被災地回りを優先して選挙戦に入るのが遅れたことが敗因とすると、何やら皮肉な
巡り合わせも感じる。



しかし最も不幸なのは長野県民だ。田中康夫というエキセントリックな「改革派」と、
村井仁というあまり目立たない「守旧派」の選択しかなかったからである。つまり反
田中という旗印だけでは、県民はそこに自分たちの将来を見ることができない。いく
ら「敵をつくってたたく」という田中知事の政治手法にあきあきしていても、それに
変わる政治がどのようなものなのかを示してもらわないと本当は選択にならないので
ある。



そして村井知事になったら、少なくとも田中知事の下で窒息しかかっていた長野県の
公共工事依存体質が息を吹き返すだろう。公共工事をすべて無駄というわけにもいか
ないが、長野県の将来を公共工事に託せるはずがないのも事実である。長野県の財布
は底をついているだけでなく、借金証書でぱんぱんに膨れあがっている。さらに借金
するのは自殺行為としか言いようがない。そこで村井知事がどのような政策を打ち出
すのか、注目されるところだが、もともと地方自治のあり方にビジョンを持っている
わけでもなく、そもそもいったんは引退した政治家だから、しょせん期待するほうが
無理というものかもしれない。



その意味で、田中知事に任せておけないと思い、本当は後戻りするのは嫌だと思って
いても、とりあえず長野県民にとっては後戻りする選択肢しかなかったということに
なる。そしてそれだけの選択肢しか長野県民に提示できなかった政党の責任は、自民
党にせよ民主党にせよ、あまりにも大きいと思う。



(Copyrights 2006 Masayoshi Fujita 無断転訳載を禁じます)

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