どうしたら平和になれるのか

米軍再編、普天間基地移設、防衛庁の省格上げ案など、日本の安全保障と基地問題が
動いている。先日もNHKの「日本のこれから」と題する討論番組で一般市民も交え、
この問題が話しあわれた。非常に大きなテーマであり、同時に生活に密着したテーマ
でもあるだけに、問題点をよく整理してかからないと生産的な話し合いになりにくい
と思ったが、懸念が的中してしまった。

たとえば、いきなり米軍基地の存在を問うような設定をしたことが、議論を深化させ
るのに障害となってしまったように思う。米軍基地はないほうがいいと思うか、とい
うような問題の立て方をすると「ないほうがいい」と答える人が多くなるのは自然で
ある。騒音問題やら飛行機墜落のリスク、米兵の犯罪など、米軍基地を嫌う理由はた
くさんある。しかし、その前に日本をどうやって守るのか、日本の平和をどうやって
獲得するのかというより大きな問題を議論しないとおかしなことになる。



日本の平和を守るために、米軍であれ自衛隊であれ、軍隊が必要なのかどうか。これ
が最初の問いであるべきだった。出席者の中に「憲法9条があるから日本は平和でい
られた」と発言した人がいた。この考え方は、旧社会党を中心とする「護憲派」の議
論だ。1945年以来、日本が戦争を仕掛けることも、戦争に巻き込まれることもなかっ
た。しかし1951年まではアメリカが主導する連合軍の占領下にあったし、独立を取り
戻した後もずっと米軍が駐留している。そして好むと好まざるにかかわらず、日本が
アメリカの核の傘に入っていることは事実である。この状態があるのに、憲法9条が
あったから平和であったというのは、幻想以外の何物でもないと思う。そして護憲派
の最大の弱点は、どうやって平和を勝ち取るかという戦略も論理もないことだ。



自衛のための軍隊は必要だという前提を置いてみる。米軍に頼らず単独で防衛するた
めにどれぐらいの軍隊が必要なのだろうか。旧ソ連を仮想敵国としていた時代、自衛
隊が1週間防衛できれば後は米軍が駆けつけてくるという話を聞いたことがある。今
では条件が変わっているとは思うが、自衛隊だけで空・海・陸を完全に守りきること
はむずかしいのではないかと思う。たとえば、どこかの島を占領されたら、奪還はむ
ずかしい。空からも海からも地上を効果的に攻撃する能力がないから、陸上部隊を島
に上陸させることができないとある自衛隊幹部が語ったことがある。そういった装備
をするということになれば、防衛費はとても国民総生産の1%では収まらないし、近
隣諸国に対して不安を与えてしまうかもしれない。



それだけではない。自衛隊がそれだけの装備をもったとき、米軍がまき散らかしてい
る騒音は、今度は自衛隊がまき散らかすことになる。基地周辺の住民にとって、米軍
の飛行機だろうが自衛隊の飛行機だろうが、騒音に変わりはあるまい。しかし基地反
対派の住民は、あたかも米軍がいなくなれば、基地が民間に返還されると考えている
ように見える。それはちょっと非現実的にすぎないだろうか。



軍事力で世界の諸問題が解決されたことはないと、番組の中で法政大学の鈴木祐二教
授は語っていた。もちろん軍事力だけではなかなか解決できないことも確かであろう。
ただ外交の背景に軍事力があるのも事実。近代世界において軍事力のない国が外交で
成功した試しはない。



軍事力に依存すべきではないことは明らかである。力への過信は、アメリカではベト
ナムやイラクの泥沼をもたらし、ソ連ではアフガニスタンやチェチェンの泥沼をもた
らした。パレスチナ紛争にしても、イスラエルの圧倒的軍事力をしても解決の糸口す
ら見えない。しかし北朝鮮の核問題は、アメリカの軍事力なしに交渉できるのか、イ
ランの核問題は欧米の軍事力なしに交渉ができるのか、それも大いに疑問といわざる
をえない。



日本がもし自衛隊という軍隊をもっていなかったら、日本の領海内を中国の原潜が通
過するのを黙認せざるをえなかっただろう。というより、原潜が領海を侵犯したこと
すら気がつかなかったかもしれない。こうした状態の中で、日本が相手国と対等に外
交ができるとは思えない。平和という名の「均衡」を保てないのではないかと思う。
すでに軍事力の点でバランスが大きく崩れているからである。理想論は美しいが、そ
こを議論の出発点にしていては、いつまでも地に足のついた議論はできない。



(Copyrights 2006 Masayoshi Fujita 無断転訳載を禁じます)


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