靖国問題の視点
自民党の後継総裁争い。本命は安倍晋三氏、対抗が福田康夫氏ということだったが、
その差はますます詰まってきたようだ。朝日新聞が実施した財界人アンケートによる
と、具体的に名前が挙げられた中では、安倍氏よりも福田氏を支持する人のほうが多
かったという(一般的な調査では、福田氏がじりじり追い上げているとはいえ、まだ
安倍氏の支持率が高い。たとえば朝日新聞の5月の世論調査によると、安倍氏が41%、
福田氏は29%である)。
福田氏を支持する理由の一つは、「アジア外交を改善できる人物が望ましい」という
ものであるという。小泉純一郎首相が靖国神社に参拝したことで、日中や日韓関係が
冷え込んでいるのを懸念する姿勢がよく表れている。福田氏が小泉首相の靖国参拝に
ついて批判的であることを評価し、それが中国でのビジネス環境が改善してくれるこ
とを望んでいるわけだ。安倍氏は基本的に小泉首相と同じ立場であり、靖国問題は心
の問題であるから、外国が口を差し挟んだりすべきものではないとしているから、も
し安倍氏が首相になったら日中・日韓関係はますます泥沼になるかもしれない。
そしてこの2人は、今年8月15日に小泉首相が靖国神社に参拝するのかどうか固唾をの
んで見守っている。小泉首相が、就任時に終戦記念日に参拝するとした公約を実行す
るかもしれないと見られているからだ。もし参拝すれば、中国や韓国がまた猛反発す
ることは明らか。そして中国や韓国は「次期首相は参拝すべきではない」と釘を刺す
だろう。もし小泉首相が終戦記念日に参拝せずに引退すれば、国内的にいくらか反発
はあるだろうが、それほど大きな声にはならず、靖国問題は首相の引退と共に表舞台
から消えるかもしれない。
しかし靖国問題の論点はちょっと焦点がずれていると思う。以前にも何度かこのコラ
ムで書いてきたことだが、小泉首相が言うように、戦没者を悼み、不戦を誓うという
場所として靖国神社は果たしてふさわしいのか、ということこそ靖国問題の本質だと
思う。靖国神社は、本来、戦没者を悼む場所ではない。逆に戦没者を讃え、後から続
く者を鼓舞するのが役目であった。わかりやすく言えば、長男を戦争で失った母親が
靖国神社で泣くのではなく、戦いの場に喜んで二男を差し出すように求められる場所
なのである。国家の戦争を推進する装置であった。歴史的にそういう役割を果たして
きた神社で、不戦を誓うというのはあまりにも歴史理解を欠いた行動である。
もちろんそうは思わない人も多い。出征する兵士たちの間では「靖国で会おう」が合
い言葉であったという。すなわち戦死したらその霊は靖国神社に帰ってくると考えら
れていたからである。だから父や兄弟を弔うために靖国へ行く遺族もたくさんいると
思う。しかし個々の遺族の気持ちがどうあれ、国があの神社を戦争のために利用した
ことは確かである。そういう国家の装置であったからこそ、神社側は、A級戦犯の分
祀はできないとし、宗教上の理由で靖国神社から外してほしいという一部遺族の願い
も拒否してきた。
われわれ日本人が靖国神社のそういう歴史的な意味をどう受け止めるのかということ
こそ本来問われるべきなのだ。それを近隣諸国に配慮すべきであるというような議論
をしたり、あるいは心の問題に口を差し挟むべきではないとして中国や韓国に反感を
もつのはナンセンスな議論だと思う。われわれ日本人があの神社の役割をどう考え、
戦争の犠牲者の霊を弔い(日本兵だけでなく、外国の兵士や民間人も含めて)、不戦
を誓うにはどういう場所がふさわしいかを考えなければならない。戦後60年もたって
こういった議論がまだなされていないところに、戦後日本の未熟さがあると思う。
靖国参拝問題のように、いったん外交上の問題にしてしまうと、今度は引っ込みがつ
かなくなる。振り上げたこぶしはいつか降ろさなければならないのに、ただこぶしを
降ろせば「外国に言われたから止めるというのはいかがなものか」という意見が強く
なるからである。そうなると靖国問題そのものよりも、感情的なナショナリズムに火
がつきかねない。それによって日本が大きな不利益を被ったら、小泉首相はいったい
どうやって責任をとるのだろうか。
(Copyrights 2006 Masayoshi Fujita 無断転訳載を禁じます)
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