「共謀罪」のリスク
今国会の焦点のひとつとなっている「共謀罪」の新設。何かと問題の多い政府案に対
して、与野党の間で修正案を練っているものの、結果的には与党が数の力で押し切る
ことになるのかもしれない。与党はこの共謀罪が国際組織犯罪防止条約を受けての法
改正であることを強調して、何とかここで成立させようとしているからだ。しかし野
党との溝はそう簡単には埋まらず、国会終盤に向けて緊張した駆け引きが続くだろう
と思う。
従来の刑法では、犯罪を実行したときに罪に問われるのを原則とする。ところが、こ
の共謀罪では、懲役・禁固4年以上の犯罪について、「共謀」しただけで罪に問われ
る。つまり実際に被害が出ていなくても、犯罪行為の相談をし、合意したら罪に問わ
れるということだ。
「過剰な警察、過小な警察」と題したコラムでも触れたが、本来、警察は犯罪が起き
なければ動かない。少し乱暴な言い方をすれば、被害者が出なければ動かないのであ
る。たとえば大人が行方不明になっても、事件性を示唆する証拠がなければ、「その
うち帰ってくるよ」という反応になりがちである(栃木リンチ殺人事件は警察のこう
した習性が行き過ぎたケースだ)。
警察が何もしなかったために、犠牲者が出てしまうというのは被害者の家族にとって
はたまらない。逆に加害者の側も、警察が早く介入してくれれば殺人というような重
い罪を犯さなくてもすんだかもしれない。しかし敢えて言う。警察が早めに介入する
社会より、やや遅めに介入する社会のほうが、より安心できる社会なのだと思う。も
ちろん警察の「怠慢」を勧めているわけではない。ただ犯罪行為を「しそうだ」とい
うだけで、警察官が捜査するような社会は、決して一般市民が安心して暮らせる社会
とはいえないと言いたいのである。
よく言われる例だが、飲み屋でサラリーマンが集まって「あの部長は気に入らない。
いつかみんなで監禁してリンチしてやる」という相談をしたら罪に問われるのだろう
か。法務省はそういう例は共謀罪に問われることはないと言う。「組織的な犯罪集団
が関与する重大な犯罪の共謀行為に限り処罰する」となっていること、「厳格な組織
犯罪の要件」が満たされなければならないことなどから、「国民の一般的な社会生活
上の行為が本罪に当たることはありえない」としているのである。
ただ問題は、この法改正によって、共謀罪に問えるかどうかの捜査をすることができ
るようになることだ。つまり組織的な犯罪集団が関与していないか、犯罪の実行につ
ながる危険な合意ができていないか、それを調べることが可能になるということだ。
一般市民かどうかは捜査した上で決められることになる。
これまでの法律であれば、原則的に事件が起きなければ警察は捜査ができないから、
その時点で一般市民が組織犯罪の事件に巻き込まれることはほとんどないと言ってい
いのだろうが、今度は「共謀」の事実を探り出すための捜査が可能になるのだから、
組織犯罪に関係があろうがなかろうが、ちょっとした接点があるだけでも捜査の対象
になりかねない。
そして捜査の対象になり、警察に任意で呼ばれたりすると、それだけで心理的なプレッ
シャーにさらされる。そしてやってもいない犯罪を「自白」することも起こりうる。
いったん自白してしまえば、それを覆すのは容易ではない。
もちろん麻薬や人身売買など国際組織犯罪に対処するのは大変なことだ。そのために
早め早めに手を打ちたいという警察当局の希望も理解できなくはない。まして今回は
国際条約の締結に伴う改正である。それでも、警察当局に与える手段はできるだけ限
定すべきである。盗聴が犯罪摘発、防止に役立つからといって、捜査当局が盗聴を無
制限にできるようにすべきではないのと同じことだ。
権力は常に外へ広がろうとするものである。その権力を一定の範囲に止めようとして
きたのが近代の歴史であった。それは個々の人々の権利が強く意識されてきたからで
ある。犯罪を防止するという大義名分があるとしても、多大な犠牲と長い時間をかけ
て勝ち取ってきたものを浸食するような法律を、そう簡単に成立させるべきではない
と思う。
(Copyrights 2006 Masayoshi Fujita 無断転訳載を禁じます)
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