過剰な警察、過小な警察

今年4月12日、宇都宮地裁でいわゆる「栃木リンチ殺人事件」について、被害者の両 親が栃木県や犯人の元少年たちに損害賠償を求めた事件の判決が下った。柴田秀裁判 長は「被害者の生命、身体に対する危険が切迫していることは認識できた」とし、 「警察官が警察権を行使することによって加害行為の結果を回避することが可能だっ た」と、警察の怠慢と殺人事件の因果関係を認めた。

この判決後、原告側は加害者の両親の賠償責任を認めなかったことを不服として控訴、 また被告の栃木県も、県警の捜査怠慢と死亡の因果関係を認めた点を不服として控訴 している。警察の捜査怠慢があったとして賠償を命じた判決としては、桶川女子大生 ストーカー殺人事件などがあるが、捜査の怠慢と被害者の死亡との因果関係を認めた 判決としては神戸商船大大学院生殺害事件についで2件目である。

栃木リンチ殺人事件とは、1999年12月に日産自動車栃木工場の従業員須藤正和さん (当時19歳)が、同じ職場の少年ら4人に監禁、リンチされて殺害された事件だ。正 和さんが失踪した9月から両親が栃木県石橋署に捜査を依頼するが、警察はいっこう に取り合わなかった。銀行の防犯カメラに正和さんが顔中にやけどをして預金を下ろ している姿が映っているという銀行から両親への通知があったことを話しても、警察 は動かなかった。あげくのはてに、正和さんから両親にかかってきた電話に出た警察 署員が「自分は警察だ」と名乗ったことが、正和さんの殺害につながった直接的な理 由と両親は考えている。

「事件にならなければ捜査はしない」というのが警察の原則的な立場だ。それは当然 である。「事件になりそうだ」ということで警察が動くことは、人権という観点から 見れば極めて危険だと思う。だから、早いうちに芽を摘むことによって被害が出るの を防げるかもしれないが、それは警察にとってむずかしい。ただ、栃木の事件はすで に「監禁事件」になっていたのを認識せず、捜査しなかったという点で、警察には大 変な落ち度があると言うべきだと思う。その意味では栃木県に1億円近い賠償を命じ た宇都宮地裁の判決は画期的である。

ただ最近は、警察・検察の動きがやや慎重さを欠いているのではないかと思うことも 多い。鈴木宗男議員といっしょに逮捕された外務省の佐藤優氏の著書『国家の罠』で 「国策捜査」という言葉が出てきた。要するに、実際に法律違反があるかどうかより も、一罰百戒的な意味を込めて、事件と呼べないような事件を「事件化」するという のである。

マンションの耐震偽装問題で、姉歯元建築士、イーホームズの藤田社長、木村建設の木村社長など8人が逮 捕された。容疑は「名義貸し」とか 「増資の見せ金」あるいは国交省に対する届け出の「粉飾決算」とか、耐震偽装とは関係のない話だ。耐震偽装の真相を追及すると いうよりは、関わった人間を何とか罰するために、徹底的に調べて引っかけたという ことである。

たしかに耐震偽装は大問題である。買った人の不安だけでなく怒りも大きい。しかし 現行の刑法で罰することができないといって(たとえば建築士が「偽装」しても刑罰 を科すことはできない)、それを無理矢理、別件で逮捕したりするのがとんでもない 禍根を残すやり方であるのも事実だ。つまりこの捜査は、世論の後押しを受けて、警 察が介入したというように見える。

ある人間を逮捕しようと思ったら、すみずみまで調べ上げれば何かしら材料が出てく るはずだ。ちょっとした脱税やら、ちょっとした法律違反。本来なら笑い話ですむよ うな話でも、警察がその気になれば逮捕することができる。そしてさらに突っ込まれ ると、場合によっては取調官の言うとおりに供述してしまう。それは現実に起こりう ることだし、実際にそういう場面に追い込まれた人はかなりいるはずだ。

たとえ感情的には許せないと思う場合でも、だからといって法律をねじ曲げてでも (別件逮捕はねじ曲げとほぼ同義だ)罰するという考え方は、日本の将来にとって極 めて危険な発想というべきだと思う。検察や警察のポピュリズムはやがて司法ファッ ショにつながる。あのヒトラーも国民の圧倒的支持がなければ「独裁者」にはなれな かったのである。

(Copyrights 2006 Masayoshi Fujita 無断転訳載を禁じます)

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