日本航空のダッチロール

いったん権力の座についた人にとって、自分の出処進退を的確に判断するのはきっとむずかしいことなのだろうと思う。退任要求というあまり例のない血判状を突きつけられた日本航空の新町社長。一時は、他の代表取締役の首を切って、自分だけは来年の任期満了まで生き残ろうとしているように見えた(本音はどうあれ、外から見るとそう思える)。

これで社内が収まるはずがないと思っていたら、案の定、社長も今年の株主総会までということになった。辞任要求を突きつけた取締役も多くは退任というから、喧嘩両成敗ということなのだろうか。しかし新町社長は代表権がないとはいえ会長として残るという。これも辞め方としては中途半端な感じがしていかがなものだろうか。

どんな組織であれ、人心を一新するということはむずかしい。日本航空ほど大きな組織で、なおかつ最近合併したばかり。従業員の組合が9つもあって、そのそれぞれが協調しているわけではないとなれば、どんな強者でも逃げ出したくなるような組織だ。実際、労務のエキスパートとしてカネボウから送り込まれた伊藤淳二氏もわずかの間務めただけだった。

そんな組織だから、リーダーが辞めればいいというものではないだろうと思う。しかし人心を一新するにはまったく新たな人に任せるしかあるまい。組織が新たなスタートを切ろうというときに、部下から辞任要求を突きつけられた人が会長として留まっていれば、それはマイナスになりこそすれプラスには働くまい。

日本航空は昔から人事抗争の激しい会社。それでも部下が署名を集めての辞任要求をトップに突きつけるというのは大変なことに違いない。それほどの部下の危機感を招いた経営者は、どのような形であれ会社の中に生き残ってはいけないのだと思う。

これは、どちらに理があり、どちらに非があるかの問題ではない。人心を掌握できなければリーダーたりえない。ただそれだけのことである。

(Copyrights 2006 Masayoshi Fujita 無断転訳載を禁じます)

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