医療事故と警察

3月22日、福島県立大野病院の産科専門医が業務上過失致死と医師法(届け出義務)違反の容疑で起訴された。事故が起きたのは、2004年12月、切迫早産の疑いで入院した女性患者の帝王切開の手術中であった。開腹してみると、胎盤をはがすと大量出血の恐れがある「癒着胎盤」であることが判明した。しかし医師がそのまま胎盤を剥離したため、患者が失血死したというのである。

この件について病院は、調査委員会を設置し、2005年の3月末に報告書を公表。癒着胎盤を無理に剥離せず子宮摘出手術に切り替えなかったことが患者の死亡につながったとしてミスを認め、遺族に謝罪した。警察はこの報告書を見て、初めて事故を知って捜査を開始。今年2月18日に担当した加藤克彦医師を逮捕、3月10日に起訴した。

これだけを読むと、医療事故に対して警察・検察が厳しい態度で臨んだということで終わってしまいそうだが、話はそれほど単純ではない。医療事故で医師が逮捕されたケースはそれほど多くはない。97年度以降でわずか3件だという。東京女子医大で人工心肺の捜査を誤って死亡させた事件や、慈恵医大青戸病院で、経験のない医師が病院の内規に違反して腹腔鏡手術をし、大量出血を引き起こして患者を死なせてしまった事件などである。

東京女子医大のケースではカルテの改ざんなど悪質な隠蔽工作があったし、慈恵医大ではそもそも病院の内規に違反してむずかしい手術したという医師としてあるまじき行為があった。その意味ではこれらの場合は、逮捕も仕方がないのかもしれない。しかし今回のケースでは、すでに病院の調査委員会が医療ミスという結論を出しており、隠蔽のおそれはほとんどない。さらに医師法21条で言う「異状死の場合に警察に届け出る義務」については、いったんは病院として「異状死ではない」と判断し、後に報告書で事故と判定したのだから、患者が死亡した時点で届け出なかった責任を医師個人に背負わせるのは酷というものだ。

この事故には現在の日本の医療が抱えている問題の一つが凝縮されている。この病院で加藤医師はただ1人の産婦人科医であった。ということは、通常分娩、外来診療、それに手術と相当数の患者を診察・治療しなければならないわけで、激務になっていたはずだ。だから、いま大学では産婦人科を志す医師が減っている。勤務が昼夜を問わないこと、それにトラブルで訴えられる可能性が高いからだという。実際、加藤医師が逮捕されたため、大野病院は産婦人科を閉鎖せざるをえなくなってしまった。代わりの医師を確保することができなかったからである。

そうした事情もあって、今回の逮捕・起訴については、福島県の相馬郡、双葉郡、いわき市の3医師会が反発して声明文を出した。その中で、すでに報告書が出されて行政処分に服している加藤医師を逮捕することは、今後、このような事故を防ぐためにも何の役にも立たないと、司法当局のやり方を批判している。実際に大野病院の調査報告書を読んでも、事故を隠蔽しようとする姿勢は見られない。

もともと医療事故に警察が介入するのはむずかしい。病院内の事故であるから、外部からはなかなかうかがい知れないことがあること。またミスがあるとしても、それが起こりうるリスクの範囲内なのかそうでないのかということの判断は非常にむずかしい。そしてどんなに準備しても事故は起こりうる。今回のケースもむずかしい例とされている。そういった場合に、患者の遺族から訴えられるのはともかく、司法が業務上過失致死という形で介入してくるとなったら、いよいよリスクを取ろうとする医師はいなくなる。逆に言えば、警察が介入することで日本の医療の質が下がるというケースもありうるということだ。

医療事故に遭った患者や遺族の中には、今回の逮捕・起訴を「当然」と受け止めている人たちもいる。感情的には理解できなくはない。しかし今回の事故が、果たして、東京女子医大や慈恵医大青戸病院などのケースと同じようにひどいかどうかと考えると、ちょっと首をひねってしまう。万人の納得する解決法はないだろうが、医師を萎縮させると助かる命も助からなくなるかもしれない。

(Copyrights 2006 Masayoshi Fujita 無断転訳載を禁じます)

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コメント

1人の医師としてコメントいたします。
医師は世間の期待が大きく、潔白でかつ失敗がなくて当然と思われています。医療は生命に関わる仕事で、ミスがあると重大な結果が起こることは当事者は十分承知していますが、医師も人間です。ミスもあります。ミスを極力少なくする努力は怠ってはならないのですが、1人の努力だけでは困難です。逮捕された医師は、手術はおろか、通常勤務も1人です。精神力のみでは限界があります。手術や当直は複数の医師で担当することが、ミスや医療の質を落とさないためには必要と考えますが、携わる医師の不足でそれもままなりません。また診療医師の人数を増やすということであれば、公的な援助か受診者の負担増が求められます。しかし政策では医療費抑制の流れは変わりません。ミスを追求するのであれば、救急診療・手術体制を整えること、その結果として国民の負担増も必要であると思います。厚生労働省は、医師免許取得後主な科をローテーションするシステムを導入しましたが、勤務態勢が厳しい科・医療機関は、ローテーション終了後には敬遠される傾向がはっきりしています。医療側・個人だけの問題ではなく、国民、国レベルで検討していただきたいと思います。

このニュースを、テレビの画像で目にし、キャスターの声から耳にしたはずなのに、何の痛みも疑問も感じず、思いや考えも浮かばなかった自分が恥ずかしく、情けなくなりました。
「ジャーナリストの役割は、できるだけ多様な見方を提供すること」とおっしゃる藤田さんの今回のメルマガは、強烈に私の胸に突き刺さりました。
平等な捜査、起訴、判断が行われてほしいと思いますし、そのためにも、国民の一人として、常に、このような医療現場の状況に関心を持ち、情報を得られる場に赴いたり、そのことに対して意見を持ったり、発言の場を見つけて行動を起こしていきたいと思いました。

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