団塊哀歌
前回、人口減少は経済発展にとってマイナスであると書いた。そして読者の方から反 論をいただいた。必ずしもマイナスではなく、それをカバーすることは十分に可能だ というのである。人口が減ると経済は果たしてマイナスの影響を受けるのかどうか、 これはいろいろ議論のあるところなので、またどこかで書こうと思う。今回はその問 題とも絡んで、特定の世代、すなわち私たちの世代の話である。
人口が減るといちばん問題なのは、上の世代を支える下の世代が減ること。年金、健
康保険などなど、たちまちパンクするものは少なくない。そこで、慶応大学の清家教
授は間もなくリタイアする団塊の世代を働かせよと主張する。「団塊」の名付け親で
ある堺屋太一氏も、団塊の世代は働きたいのだから、働かせればよい(それも相対的
に低賃金で!)とする。そうすれば低コスト社会にもなって、一石二鳥なのだそうだ。
そういったことを実現するために、年金の支給開始をどんどん遅くして、なるべく早
く70歳にすべきだと清家教授は言う。
つまりは、これまで上の世代を支えてきた団塊の世代に、今度はなるべく長い間、自
分で自分のことを面倒見ろという話だ。自分で稼げば、年金の支給開始が遅くなって
も生活できるだろうし、子供は巣立っているのだから、そんなに高い給料はいらない
だろうということである(もっとも、退職金をもらわず低賃金で働いたらそんなに楽
ではないと思うが)。もう少し「思いやりのある」言い方をすれば、せっかく積み上
げてきた知識や経験をもっと社会のために生かしてほしいということだ。
もともと定年という制度そのものは、若い労働力がどんどん入ってくるような状態を
想定したものだった。若くて安い労働者を入れるために年寄りは辞めてほしいという
のが企業の本音だったろうと思う。企業への忠誠を誓わせるための年功序列賃金もこ
の定年制度を導入する理由の一つだった。そして今は、若い労働力が流入してくるわ
けではないのだから、年寄りを置いていても問題ないという論理である。
そうすると、年寄りの職場を確保するためには、年功序列賃金そのものを変えなくて
はならない(そうでないとただただ安い賃金になってしまうからだ)。しかし企業が
この賃金体系を変えようと苦闘して年俸制などを導入し、結局のところあんまりうま
く行っていないのは、賃金を決めるための評価制度が機能しなかったからではないか。
だとすれば、団塊の世代の「定年延長」は従来のたとえば「顧問」とか「業務委託」
だとかいう制度で、安ければいいというようになるのが落ちである。
企業の側にしてみれば、団塊の世代が大量に引退していったときに、彼らの雇用を延
長するよりも、その分、生産性を上げることに資金をかけるほうがずっとプラスのは
ずなのだ。景気がよくなる方向にあるのだから、一時的に労働力不足になることがあ
るかもしれないが、やがて景気が落ちたときのことを考えれば雇用を増やすことには
慎重でなければならない。現に、多くの会社が派遣労働者の比率を増やしている。そ
れが景気の下降局面でのバッファになることを期待しているためだ。つまり、業務が
縮小したときには派遣労働者をまっさきに切るのである。
企業にとってこうした便利な労働力が存在するときに、わざわざ定年延長に踏み切る
メリットがあるとは思えない(もちろん一部の企業が定年延長に踏み切ることはある
だろうが、それが大きな流れにはなるまい)。そして、私たち団塊の世代というか少
なくとも私は、そんな「便利な労働力」になりたいとは思わない。
もう一つ。われわれは先輩たちを支えてきた。そしていまわれわれは自分たちの面倒
はできるだけ自分たちで見ろと言われる。これはどうにも納得がいかない。別に不公
平だと言っているわけではない。自分が選んだわけでもない状況の中で、どうにもな
らないことが歯がゆいのである。小学校のときに先生から聞いたことを思い出す。
「お前たちは、高校に入るのも、大学に入るのも、就職するのも、結婚するのも、そ
して墓場に入るのもすべて競争だ」
フーッ、やれやれ。
(Copyrights 2006 Masayoshi Fujita 無断転訳載を禁じます)
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