60年目の疑問

第2次世界大戦が終わって60年という節目の年であるため、メディアでは戦争に関す る特集が多い。先日もNHKで8月9日のソ連参戦に関わる特集をやっていた。この8月9 日は、長崎に原爆が投下された日であり、そしてソ連が満州に攻め込んだ日でもある。 日ソ平和中立条約を突然破棄されたこと、そしてソ連が日本に宣戦布告したこと、そ してシベリアに60万人近い人々を抑留し、そのうちの6万人を死なせたこと。そのた め、ソ連に対する日本人の反感は根強い。

しかしあの戦争の経緯を見て、いつも不思議に思うことがある。なぜあの戦争を1945 年8月15日まで続けなければいけなかったのだろうか。日独伊3国同盟のうちイタリ アは1943年に降伏している。日本とドイツはその時点で戦争を継続する意思を表明し ているが、日本は太平洋戦線での戦況が暗転していた。それでも1944年は戦争を継続 できたものの、ドイツは1945年4月にヒトラーが自殺し、無条件降伏をする。日本は、 その年3月に東京大空襲で30万人という人々が犠牲になった。そして4月から6月にか けて沖縄戦である。

改めて言うまでもないことだが、戦争の目的は戦うことではない。目的は勝つことで ある。勝って自分たちの国益を押し通す。従って絶対に勝てない戦争はそもそもする べきではない。国民を勝てない戦争に導くのは、指導者として犯罪的ですらある。な ぜならその結果、大勢の人々が生命や財産を失うからだ。国家とは国民の生命・財産 を守るのが義務。そのために国民は税金を払っている。その国家が無意味に国民に犠 牲を強いるのは許されないことだ。

1931年に満州事変で日本が戦争に踏み出して、1941年にアメリカに宣戦を布告するこ ろ、日本が本当に勝てる自信があったとはとても思えない。「うまくいけば」程度の 期待しかなかったのではあるまいか。ただ欧米に圧力を強められることで出口のない 状況に追い込まれていたのも事実。だから百歩譲って日米開戦はやむをえなかったと 認めるとしても、振り上げた拳を降ろすシナリオもなしに、ただただ総力戦という名 の消耗戦を国民に強いた罪は大きい。

1945年7月の段階で、ソ連に米英との和平の仲介を頼むというような外交上の大失態 が、いったい何万人の命と引き替えになったのかを考えてみるがいい。ソ連軍の満州 侵攻を聞いた大本営参謀が自分の予測は間違っていたと日記に書いたそうだ。情勢の 読み違えはありうることかもしれない。しかしそのために国民を無駄死にさせたこと について、自責や悔恨の念をあまり聞いたことがない。

あの戦争による犠牲者は300万人を越える。そのうち100万人近い人々はドイツが降伏 した後に亡くなっている。歴史に「もし」はないとしても、戦争を継続することの意 味はなくなったと言える指導者がもし当時の日本にいたら、犠牲者の数は激減してい たし、中国残留孤児の問題もなかっただろう。

そしてわれわれ日本人の最も不可解なところは、どうしてあの戦争が終わって「1億 総懺悔」をしなければいけなかったのか。どうしてその論理に国民は易々と乗ってし まったのかということである。いくら国民も戦争遂行に駆り立てられていたとしても、 敗れたことに対して国民が懺悔するなどおかしな話だ。ある会社が倒産したとき「社 員は悪くありません。すべて私の責任です」と涙の記者会見をした社長がいた。この 戦争でもやはり当時の指導者は、国民に対してわびるべきであったと思う。これは東 京裁判とか戦犯とかいう話とはまったく別の次元の話である。

なぜ8月15日まで戦争を引っ張ったのか。ドイツが降伏した5月、あるいは沖縄での組 織的抵抗が終わった6月末、あるいはポツダム宣言が公表された7月26日。日本が降 伏するチャンスはあった。それができなかったのは、情勢の読み誤りと天皇制へのこ だわりである。いったんは蹴飛ばした無条件降伏。そして100万人という命を犠牲に して、その結果はやはり「無条件降伏」だった。ある特攻隊員だったか、負けなけれ ば国が気がつかないのだったら、負けるために自分はここで死んでもいいという意味 のことを書き残している。その兵士も戦争に若者を送り出した靖国に祀られている。

この記事は私の週刊メルマガ"Observer"に掲載したものです。

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コメント

59年目(つまり昨年)の8月、あの戦争もずいぶんと「風化」してしまったなあ、とつくづく感じました。
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終戦直前の8月6日、広島市に原子爆弾が投下されました。その広島で毎年、その惨禍を忘れることがないよう、式典が開かれています。昨年も開かれ、NHKが例年通りその様子を生中継していました。
出勤時間を少し後ろにずらして、ブラウン管に映る影像を観、聞えてくる音を聞きながら、新聞もテレビも、だんだん、この平和記念式典に対する扱いが小さくなってきたって思いました。記憶でいえば、10年か15年くらい前は、原爆が投下された8時15分前後数分間は、在京各テレビ局は並んで式典を生で中継していたと憶えているのですが、いつの間にかNHK以外では生中継されなくなってしまいました。
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ごく普通のサラリーマンや主婦にとって、身近でお手軽なマスメディアは、やっぱ、テレビだよネ。そのテレビ、民放各社が「この日」の「この時間」をなおざりにして、いつでもカバーできる所謂ワイドショー、アホみたいな内容を放送しているというのは、還暦を過ぎたオジさんとしては、どうしても面白くないし、納得がいかねえナア。
と、ブツブツと不満を感じながら観ていれば、2003年には「平和憲法を守る」と同じ場所で憲法順守を誓ったはずの首相の挨拶は、どうも言語明瞭意味不明、最後まで下を向いたまま、官僚の作文を棒読みしただけっていう印象。
小学生の男女二人による言葉も、大人の作文を練習に練習を重ねた末に読まされているパフォーマンス、観衆に見せるための、操り人形そのまま、空々しくて、気持とか少しも伝わってきませんでした。
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式典がこれだもん、訴えが聞えてこないだもん、テレビに向かって、「この日を粗末に扱うな」なんて、文句言えねえナア。マア、「日本って、アメリカと戦争してたの?」って、マジで質問する世代が増えたんだもの、しゃんめいのかナア。
悲しいなあ。

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