弱小新聞を政府が応援する?
お隣の国、韓国で新聞法が今日から施行された。韓国は大手3紙(朝鮮日報、東亜日 報、中央日報)が圧倒的な力をもっているが、いずれも盧武鉉政権に批判的とあって、 政府としては自由な競争を促すという名目の下に弱小新聞を支援するのだそうだ。こ れを受けて韓国のメディアは二分しているという。むろん大手3紙は猛反対。1紙 で30%か3紙合わせてシェアが60%を超えると支配的事業者と見なされ、政府に対し て事業内容を報告する義務が生まれるばかりでなく、政府の支援が得られなくなる。
今年の5月30日からソウルで開かれた世界新聞協会(WAN)の総会では、オライリー会長代行が1月1日に成立したこの新聞法を「民主主義国家では常識としては理解しがた
い方式」と批判した。これに対して盧大統領は、新聞はいまやひとつの権力ともいえ
るとして、新聞を規制することを正当化した。
大手が牛耳る市場に政府が介入するというのは、近代社会が発展するときにたどって
きたひとつの過程である。独占企業が絶対的な力によって価格を自由に操作するとい
う弊害が生まれたため、独占禁止法で競争を確保しようという考え方が出てきた。独
禁法の功罪はあるものの、結果的には功のほうが圧倒的に大きいだろう。独占企業は
価格支配力に物を言わせることが利益極大化につながるのだから、消費者にとっては
決して幸せなことにならない。われわれの過去を振り返ってみても、収支が合わない
からといってすぐに値上げに走るのは、旧国鉄、旧郵政それに道路公団。競争がなけ
ればコストを気にすることもなく、その分を業者に分け与えるという「癒着構造」も
あちらこちらで生まれてきた。
しかし、報道の世界でも同じことが言えるのだろうか。そもそも報道の世界に「支配
的事業者」なんて存在するのか。普通は、政府が言論を統制し、国営放送とか御用新
聞だけにビジネスを許したりすれば、情報の独占が起こりうる。だから独立系メディ
アがそれこそ命を懸けて国家権力と戦う。そんな例は枚挙に暇がないほどある。最近
ではウクライナで独立系ジャーナリストの暗殺事件が、オレンジ革命の引き金のひと
つとなった。
普通の国では、新聞市場に参入制限はない。もちろん先発と後発ではかなり差がある
ため、後発組は苦しいとは思うが、現代ではインターネットによってその状況も大き
く変わりつつある。僕がブログを開設したように、個人で情報を発信すること自体む
ずかしいことではない。しかも「大手だから信用できる」というわれわれの胸に色濃
く残っていた「事大主義」は、いまではかなり薄れてきた。韓国でもそういったメディ
アの事情は似たり寄ったりだ。
そうすると何のために盧政権は、弱小新聞を応援しようとするのか。目的ははっきり
していると思う。3大新聞いじめである。権力が既存のメディアに対して嫌がらせを
するなどとは大人げないことだと思うが、いちばん異様だと思うのは、この法律を支
持するメディアがいることだ。
政府から支援してもらうことになっている弱小メディアは、この新聞法は言論の民主
化を促進するものだと主張してはばからない。韓国のメディアと権力との問題はいっ
たん脇に置いておく。しかし権力から支援されて言論が民主化された試しなどない。
権力による情報の独占さえ放棄されれば、後はかってに民間が民主化をするのである。
そもそも国家権力と民主化というのは相容れないものだ。権力の座につけばいつまで
も座っていたいと思うのが人情。だから独裁者が生まれる。そして民主主義とは、権
力と対峙する方法として選挙を用いるシステムである。市民は、選挙で権力者に退陣
を要求することができる。そう考えてくると、権力による民主化ということそのもの
が自己矛盾でありナンセンスだ。そして自分たちが支援を受けられるからといってこ
ういう法律を擁護する弱小メディアもメディアである。政権が代われば、いつの日か
自分たちに刃が向けられることになぜ気がつかないのか、理解に苦しむ。韓国の民主
化はまだ歴史が浅いとしても、3大紙も含めてこのメディアのご都合主義はいちばん
始末が悪い。
この記事は私の週刊メルマガ"Observer"に掲載したものです。
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