JR西日本の「勘違い」
最も安全な乗り物の一つである鉄道で大きな事故が起きた。107人もの人が亡くなっ たJR西日本福知山線の脱線転覆事故である。この悲惨な事故がなぜ起きたのか、現在 事故調査委員会で原因を究明している最中だが、制限速度を大幅に上回る速度でカー ブに進入したことが直接的な原因であることはほぼ間違いないとされている。なぜ高 見運転士は、制限速度70キロのところに時速108キロで突っ込んでいったのか。本人 も亡くなっているから、その理由を確定することはむずかしいだろうと思う。しかし この事故の根本原因は、運転士の行動そのものにはない。むしろ安全に関するJR西日 本の考え方そのものにある。
報道によれば、この路線ではダイヤの改正によって快速電車の停車駅が一つ増えたの
に所用時間はもとのままだったという。電車は停車すれば1分以上よけいに時間がか
かるというから、快速電車の運転士はその時間をどこかで取り戻していたはずだ。つ
まり運転士にとって遅れを取り戻す余地がそれだけ減っていたはずである。しかも事
故を起こした運転士はその日も前の駅でオーバーランをし、遅れを出していた。もと
もと余裕がないところで、少しでも取り返そうとすれば制限速度を無視するしか方法
はあるまい。
電車に乗るとき、余裕があると先頭車両の運転席の真後ろに陣取って、運転を観察す
るのが私の常である。私が利用する東横線はATC(自動列車制御装置)が装備され、
これまでの信号機が消えた。その代わり運転席の速度計に制限速度が表示される。運
転士は区間ごとに変わる制限速度に応じて速度を調整する(ほとんどの運転士はどの
区間の制限速度が何キロか覚えていて、制限速度を指示される前にもうブレーキをか
けている)。もし制限速度を超過していれば自動的にブレーキがかかるという。さら
に、運転士が意識を失ったりしてハンドルから手を離せば非常ブレーキがかかるよう
になっているともいう。
JR東日本でもATCや改良型のATSが設置されている。東京の山手線のような超過密ダイ
ヤを運行するには、こうした装置を設置するしかあるまい(日常的にあの電車を利用
しているとあまり気づかないが、外国人は山手線の運転間隔を見ると仰天する。それ
ほどの超過密ダイヤである)。ところがJR西日本ではこうした安全装置の設置がきわ
めて遅れていた。全路線の8%程度というから、首都圏などとは比べものにならない。
ATCが設置されていないから、制限速度を超えて電車を走らせることが可能だ。遅れ
を取り戻すために制限速度を無視することが常態化していたという証言も聞こえてく
る。ATCや改良型ATSの設置が遅れていたのは、制限速度を超えて遅れを取り戻すこと
を会社側も容認していたからではないかと勘ぐりたくもなる。旧国鉄時代とは違って
「親方日の丸」ではないから、利益も出さなければなるまい。コストのかかるATCな
どには熱心でなかったのかもしれない。
しかし安全を維持する責務を運転士一人に負わせるというのは、あまりにも時代遅れ
の発想だ。人間はいかに訓練を積んでも、完璧であることはできない。もちろんあら
ゆる職業で完璧であろうと努力する人はたくさんいるし、それが貴いことであること
は論を待たない。だが完璧にはなれないのが人間だ。ヒューマンエラーは必ず起きる。
だから航空事故が起きるたびに、航空機メーカーは人間が間違い犯してもカバーする
ように努力してきた。たとえば旅客機にはパイロットのアシストをするコンピュータ
が搭載されている。パイロットの判断とコンピュータの判断のどちらを優先するかと
いうのは場合によってはむずかしい問題だが、そこには安全を二重三重に守ろうとす
る姿勢がある(滑走路で管制官の指示を無視するのはコンピュータでもどうしようも
ないだろうが)。しかもコンピュータは3台搭載されており、それぞれのコンピュー
タが違う選択をしようとしたら「多数決」で決めるという。コンピュータがおかしく
なる可能性も考慮しているわけだ(もちろん「多数決」の結論が間違うこともあるだ
ろうが、その可能性は小さくなる)。
原子力発電所でも、人間は誤りを犯すという前提で設計されている。自動車などでは、
オートマチックの車でギヤをPの位置にしておかなければエンジンがかからないとか、
ブレーキペダルを踏んでいなければPの位置からレバーを動かせないようになったの
は、度重なるオートマ車の事故があったためである。鉄道でも大きな事故があり、
ATSそして改良型ATS、ATCと安全を守る装置が開発されてきた。要するに運転士だけ
に安全運行を任せるのではなく、システムとして安全を維持するという考え方が当た
り前になっているのである。
それにもかかわらず「追突防止」しかできない装置のままに放置し、しかもダイヤを
過密にしていったJR西日本。公共輸送機関をあずかる経営者として資質をまったく欠
いていると言わざるをえない。安全はお題目ではない。安全、安全と唱えるのではな
く、それを守るシステムを構築すること、それが経営者の役目だ。とかく「精神論」
に頼りがちなのは日本の風土と言ってもいいが、精神論だけで事が足りると考えるの
は風土ではなく風土病である。
この記事は私の週刊メルマガ"Observer"に掲載したものです。
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